十一月 ・・・ 温泉
山々を錦と織りなす紅葉が散り始めると、北東北の冬が足早に近づいてくる。
干草を積み、薪を集め、柿をつるし、いぶりがっこなどを作って長い冬に備える準備を終えると、夏から秋にかけて働きつめた疲れがドッと出てくる。
その疲れを癒してくれるのが温泉だ。秋田にも名だたる温泉地があまたある。

今年1月31日付の日本経済新聞の日経プラスワン「何でもランキング」は、“一人旅におすすめの宿”ベストテンを発表した。そのトップは、秋田県仙北市乳頭温泉群のひとつ『鶴の湯温泉』であった。この調査は、大手旅行会社3社と旅行家、作家、旅行ジャーナリスト、雑誌編集者など十数人の推薦を基礎に、施設、雰囲気、環境や景観、食事などを総合評価して得点化したもので、それなりの権威があろう。
その中で鶴の湯は977点を獲得、2位の『星のや(軽井沢)』の689点に300点近い大差をつけて断トツ一位となっている。しかも一人旅の対象となれば、旅の他の要素は捨象され、専らその対象たる“宿の質”が評価されるのであり、この調査結果は、秋田の温泉の水準の高さを示すものと思われる。私の体験では、秋田には鶴の湯に勝るとも劣らぬ温泉宿がいくつもあるのだから。
それにしても乳頭温泉は素晴らしい。七つの温泉からなる温泉群であるが、それぞれ源泉を異にし、それだけに距離的にも離れて別々の個性を保つ。山懐に抱かれた秘湯というにふさわしい。前掲の鶴の湯もさることながら、私は「黒湯」、「孫六」、「蟹場」が好きだ。特に蟹場には、母屋から50メートルほど下った谷間に露天風呂があり、私が浸かった時は雪の日で、周囲を囲むぶな林の雪の美しさが忘れられない。

雪の「蟹場温泉」露天風呂
秋田の温泉は古くからの湯治場が多く、秋田藩佐竹の療養場でもあった鶴の湯は1615年、黒湯は1674年の開場と伝えられる。「玉川温泉」は近時ガンやアトピーに効くという評判で人気が高い。自炊をしながら何日も滞在する人が多いと聞く。八幡平の「ふけの湯」も300年の歴史を持つと言う。

ふけの湯の露天風呂
八幡平で思い出すのが「藤七温泉」。標高1400メートルと北東北最高地にある温泉で、源泉かけ流しの露天風呂は素晴らしく、湯ぶねから遠く岩手山を望む雄大な展望は心に残る。なお、藤七温泉の住所は岩手県八幡平市で、正確には秋田の温泉ではないが、まさに県境にあり、私は秋田側から訪ねたので秋田の温泉に加えている。
また秋田には、標高1400メートルから転じて日本海に面する標高ゼロメートルの温泉も数多い。男鹿の某旅館では、幸運にも快晴に恵まれ、真っ赤に焼けただれた太陽が、どろどろと直接水平線に沈む姿を見つめながら名物の「石焼き料理」を食べた。これまた青森県に入るが深浦町の「不老不死温泉」では、波打ち際の露天風呂から日本海の夕日を眺めた。いずれも忘れがたい体験であった。
さて、私の貧しい経験だけではつまらない。地元の人はどの温泉を薦めるのか。根っからの秋田人である知友K氏らに「都会人に来てもらいたい秋田の温泉は?」と問うと、先ず挙げたのが、湯沢の小安峡温泉「元湯くらぶ」、同じく湯沢の泥湯温泉「奥山旅館」、八幡平の後生掛温泉、仙北市田沢湖の夏瀬温泉「都わすれ」、などであった。いずれも、何ともひなびた温泉宿という匂いがする。
また、ホテルなら小坂町の「十和田プリンスホテル」、男鹿の「帝水」、変わったところでは、モール温泉(植物性の腐蝕質温泉)で名高い大潟村の「ボルダー潟の湯」だと言う。
K氏は、「何でもあります。お好みに応じてどうぞいらっしゃい」とにっこり微笑んで両手をひろげた。

【11月の行事】
●11月7日(土) 保呂羽山の霜月神楽(横手市)
● 11月21日(土)22日(日) 秋田船方節全国大会 (男鹿市)
歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
干草を積み、薪を集め、柿をつるし、いぶりがっこなどを作って長い冬に備える準備を終えると、夏から秋にかけて働きつめた疲れがドッと出てくる。
その疲れを癒してくれるのが温泉だ。秋田にも名だたる温泉地があまたある。

今年1月31日付の日本経済新聞の日経プラスワン「何でもランキング」は、“一人旅におすすめの宿”ベストテンを発表した。そのトップは、秋田県仙北市乳頭温泉群のひとつ『鶴の湯温泉』であった。この調査は、大手旅行会社3社と旅行家、作家、旅行ジャーナリスト、雑誌編集者など十数人の推薦を基礎に、施設、雰囲気、環境や景観、食事などを総合評価して得点化したもので、それなりの権威があろう。
その中で鶴の湯は977点を獲得、2位の『星のや(軽井沢)』の689点に300点近い大差をつけて断トツ一位となっている。しかも一人旅の対象となれば、旅の他の要素は捨象され、専らその対象たる“宿の質”が評価されるのであり、この調査結果は、秋田の温泉の水準の高さを示すものと思われる。私の体験では、秋田には鶴の湯に勝るとも劣らぬ温泉宿がいくつもあるのだから。
それにしても乳頭温泉は素晴らしい。七つの温泉からなる温泉群であるが、それぞれ源泉を異にし、それだけに距離的にも離れて別々の個性を保つ。山懐に抱かれた秘湯というにふさわしい。前掲の鶴の湯もさることながら、私は「黒湯」、「孫六」、「蟹場」が好きだ。特に蟹場には、母屋から50メートルほど下った谷間に露天風呂があり、私が浸かった時は雪の日で、周囲を囲むぶな林の雪の美しさが忘れられない。

雪の「蟹場温泉」露天風呂
秋田の温泉は古くからの湯治場が多く、秋田藩佐竹の療養場でもあった鶴の湯は1615年、黒湯は1674年の開場と伝えられる。「玉川温泉」は近時ガンやアトピーに効くという評判で人気が高い。自炊をしながら何日も滞在する人が多いと聞く。八幡平の「ふけの湯」も300年の歴史を持つと言う。

ふけの湯の露天風呂
八幡平で思い出すのが「藤七温泉」。標高1400メートルと北東北最高地にある温泉で、源泉かけ流しの露天風呂は素晴らしく、湯ぶねから遠く岩手山を望む雄大な展望は心に残る。なお、藤七温泉の住所は岩手県八幡平市で、正確には秋田の温泉ではないが、まさに県境にあり、私は秋田側から訪ねたので秋田の温泉に加えている。
また秋田には、標高1400メートルから転じて日本海に面する標高ゼロメートルの温泉も数多い。男鹿の某旅館では、幸運にも快晴に恵まれ、真っ赤に焼けただれた太陽が、どろどろと直接水平線に沈む姿を見つめながら名物の「石焼き料理」を食べた。これまた青森県に入るが深浦町の「不老不死温泉」では、波打ち際の露天風呂から日本海の夕日を眺めた。いずれも忘れがたい体験であった。
さて、私の貧しい経験だけではつまらない。地元の人はどの温泉を薦めるのか。根っからの秋田人である知友K氏らに「都会人に来てもらいたい秋田の温泉は?」と問うと、先ず挙げたのが、湯沢の小安峡温泉「元湯くらぶ」、同じく湯沢の泥湯温泉「奥山旅館」、八幡平の後生掛温泉、仙北市田沢湖の夏瀬温泉「都わすれ」、などであった。いずれも、何ともひなびた温泉宿という匂いがする。
また、ホテルなら小坂町の「十和田プリンスホテル」、男鹿の「帝水」、変わったところでは、モール温泉(植物性の腐蝕質温泉)で名高い大潟村の「ボルダー潟の湯」だと言う。
K氏は、「何でもあります。お好みに応じてどうぞいらっしゃい」とにっこり微笑んで両手をひろげた。

【11月の行事】
●11月7日(土) 保呂羽山の霜月神楽(横手市)
● 11月21日(土)22日(日) 秋田船方節全国大会 (男鹿市)
歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
十月 ・・・ 紅葉と山の幸
9月下旬から10月上旬にかけて、米どころ秋田はその収穫に沸くが、実りの秋が与えてくれるものは何も米だけではない。きのこ、木の実、果物・・・さまざまな山の幸が自然の贈り物として実を結んでいるのである。

動物たちは、やがて迫り来る冬に備えて、これらの山の幸を体に詰め込み、栄養をたっぷり蓄えて冬眠の準備に入る。自然の輪廻はここでも実にうまく回っているのである。人間は冬眠こそしないが、これらの幸を味わいつくす。
黄金の波に揺れる稲穂が刈り取られ黒土が顔を出すと、それを覆い隠すように里山の木々が色づき、さまざまな果物が赤い実をつける。やがて周囲の山々が、褐色、黄葉、紅葉に彩られ見事な錦を織りなしていく。北国独特の鮮明な色彩に彩られる秋田の秋は、たまらなく美しい。
その中を人々は、きのこを探し、りんごを狩り、栗を拾う。

私の三弟は、ブナを題材にその四季を描き続けている画家であるが、彼がその道に入ったのは、学生時代に秋田国体の山岳に参加し、八幡平から駒ケ岳を歩いてその紅葉の美しさに心をとらわれたことによる。爾来彼はブナを描き続け、九州(大分県臼杵市)に住みながら紅葉の時期になると必ず秋田を訪れる。常宿とする駒ケ岳中腹の山荘に宿り、乳頭温泉で体を癒し、その周辺から八幡平、白神山地にかけてのブナ林に分け入り絵筆を振るう。
既に十数年も前になるが、彼の絵筆の旅の供をして、初めて駒ケ岳の紅葉のブナ林に入ったときの感動は忘れられない。その美しさは「この世のものか?」と思わせるものがあった。
もう一つ、秋田の秋で忘れえぬものに、初めて食べた「きのこフルコース」がある。その日は仙北郡にある酒蔵を訪ね、蔵見学のあと蔵元に紹介された角館の某料亭で食べたのだ。舞茸(まいたけ)、こなら、なめこ、ますたけ、落葉きのこ・・・、中には、ほうき茸とかねずみしめじなど、あまり聞いたことのないようなきのこが様々な料理で出てきた。
お吸い物、なます、土瓶むしの類から、煮物、焼き物、天麩羅などはわかるとして、刺身まできのこの素材には驚いた。九州では松茸(まったけ)を最高のきのことするが、
「舞茸の方がはるかに美味しい」という秋田人の主張を思い知ったのもこの日であった。
最後に出てきたきりたんぽみそ、かじか鍋、いぶりがっこなどいずれも、秋あがりした酒(夏の間ねかせて十分に熟成した酒)にぴったり合って、心行くまで満足した。

実りの秋を象徴するものとして、最後に“きりたんぽ鍋”にふれておく。
秋田県のホームページの中の『食文化』の項を見ると、「きりたんぽとは、もともと北秋田地方のキコリや狩りを生業としてきたマタギたちがご飯をつぶし、棒に刺して焼いて食べていた携行食を、ヤマドリやキジの鳥鍋と煮込んだのが始まり」らしい。最近は肉に比内鶏(ひないどり)を使うが、これは昭和になってからということだ。材料は、しょうゆと酒で味付けした鶏ガラのだし汁に、きりたんぽ、比内鶏のほか、ごぼう、しらたき、ねぎ、せりなど季節の野菜と、きのこの舞茸が使われる。(前掲ホームページ)
つまり「きりたんぽ鍋」は、収穫したばかりの米できりたんぽを作り、秋田の誇るきのこ舞茸と地元産の比内鶏、それに季節の野菜を煮込んだ“秋田の秋に最もふさわしい鍋”と言えよう。
もちろん、秋だけに限らない。特に寒い冬は、なんと言っても鍋が恋しい。その時期の土産にきりたんぽ鍋(パック)を頼まれることが多い。それを持ち帰ると、妻は息子や娘家族も呼び寄せて大勢でつつく・・・。
何ともいえない幸せなひと時をつくってくれる鍋である。

【10月の行事】
●10月10日(土)〜11月8日(日) 抱返り紅葉祭(仙北市)
● 10月11日(日) 第10回男鹿梨まつり (男鹿市)
● 10月26日(日)〜11月9日(日) よこて菊まつり(横手市)
● 10月中旬 朝市「秋のキノコ祭」(五城目町)
● 10月中旬 法体の滝 紅葉(もみじ)まつり(由利本荘市)
● 10月中旬 全国ジャンボうさぎフェスティバル(大仙市)
歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員

動物たちは、やがて迫り来る冬に備えて、これらの山の幸を体に詰め込み、栄養をたっぷり蓄えて冬眠の準備に入る。自然の輪廻はここでも実にうまく回っているのである。人間は冬眠こそしないが、これらの幸を味わいつくす。
黄金の波に揺れる稲穂が刈り取られ黒土が顔を出すと、それを覆い隠すように里山の木々が色づき、さまざまな果物が赤い実をつける。やがて周囲の山々が、褐色、黄葉、紅葉に彩られ見事な錦を織りなしていく。北国独特の鮮明な色彩に彩られる秋田の秋は、たまらなく美しい。
その中を人々は、きのこを探し、りんごを狩り、栗を拾う。

私の三弟は、ブナを題材にその四季を描き続けている画家であるが、彼がその道に入ったのは、学生時代に秋田国体の山岳に参加し、八幡平から駒ケ岳を歩いてその紅葉の美しさに心をとらわれたことによる。爾来彼はブナを描き続け、九州(大分県臼杵市)に住みながら紅葉の時期になると必ず秋田を訪れる。常宿とする駒ケ岳中腹の山荘に宿り、乳頭温泉で体を癒し、その周辺から八幡平、白神山地にかけてのブナ林に分け入り絵筆を振るう。
既に十数年も前になるが、彼の絵筆の旅の供をして、初めて駒ケ岳の紅葉のブナ林に入ったときの感動は忘れられない。その美しさは「この世のものか?」と思わせるものがあった。
もう一つ、秋田の秋で忘れえぬものに、初めて食べた「きのこフルコース」がある。その日は仙北郡にある酒蔵を訪ね、蔵見学のあと蔵元に紹介された角館の某料亭で食べたのだ。舞茸(まいたけ)、こなら、なめこ、ますたけ、落葉きのこ・・・、中には、ほうき茸とかねずみしめじなど、あまり聞いたことのないようなきのこが様々な料理で出てきた。
お吸い物、なます、土瓶むしの類から、煮物、焼き物、天麩羅などはわかるとして、刺身まできのこの素材には驚いた。九州では松茸(まったけ)を最高のきのことするが、
「舞茸の方がはるかに美味しい」という秋田人の主張を思い知ったのもこの日であった。
最後に出てきたきりたんぽみそ、かじか鍋、いぶりがっこなどいずれも、秋あがりした酒(夏の間ねかせて十分に熟成した酒)にぴったり合って、心行くまで満足した。

実りの秋を象徴するものとして、最後に“きりたんぽ鍋”にふれておく。
秋田県のホームページの中の『食文化』の項を見ると、「きりたんぽとは、もともと北秋田地方のキコリや狩りを生業としてきたマタギたちがご飯をつぶし、棒に刺して焼いて食べていた携行食を、ヤマドリやキジの鳥鍋と煮込んだのが始まり」らしい。最近は肉に比内鶏(ひないどり)を使うが、これは昭和になってからということだ。材料は、しょうゆと酒で味付けした鶏ガラのだし汁に、きりたんぽ、比内鶏のほか、ごぼう、しらたき、ねぎ、せりなど季節の野菜と、きのこの舞茸が使われる。(前掲ホームページ)
つまり「きりたんぽ鍋」は、収穫したばかりの米できりたんぽを作り、秋田の誇るきのこ舞茸と地元産の比内鶏、それに季節の野菜を煮込んだ“秋田の秋に最もふさわしい鍋”と言えよう。
もちろん、秋だけに限らない。特に寒い冬は、なんと言っても鍋が恋しい。その時期の土産にきりたんぽ鍋(パック)を頼まれることが多い。それを持ち帰ると、妻は息子や娘家族も呼び寄せて大勢でつつく・・・。
何ともいえない幸せなひと時をつくってくれる鍋である。

【10月の行事】
●10月10日(土)〜11月8日(日) 抱返り紅葉祭(仙北市)
● 10月11日(日) 第10回男鹿梨まつり (男鹿市)
● 10月26日(日)〜11月9日(日) よこて菊まつり(横手市)
● 10月中旬 朝市「秋のキノコ祭」(五城目町)
● 10月中旬 法体の滝 紅葉(もみじ)まつり(由利本荘市)
● 10月中旬 全国ジャンボうさぎフェスティバル(大仙市)
歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
九月 ・・・ 稲刈り
9月、秋田は収穫のときを迎える。米どころ秋田が最も躍動する月かもしれない。
青く伸び盛った稲穂は、9月になるといっせいに色づき、広大な田園は一面黄金の波にゆれる。
かつてこの時期に、大潟村を抜けて男鹿に向かったことがあるが、たわわに実った黄金の稲穂がどこまでも続き、逆光に映えて金色に波打つ様は、目もくらむような光景であった。

大潟村は、東京の山手線の中の広さに匹敵する。日本第二の湖(潟)であった八郎潟を干拓し、全てを米の増産に向けた水田地帯として昭和39(1964)年発足した村で、干拓地面積15,666ha、うち農地面積は11,755haにおよぶ。米どころ秋田の象徴の一つだ。その後迎えた減反政策とあいまって、かつての八郎潟の景観を失った功罪の評価はさまざまあるが、四季いろいろと変わる新たな景観は、それはそれで目を見張るものがある。
もちろん秋田は、大潟村を得る前から米どころであった。「JA全農あきた」のホームページによれば、米作りに適した秋田の自然条件を、次の4点にまとめている。
1. 内陸部の積雪とブナや秋田杉などの森が、ミネラル豊富な良質な水を大量に育む
2. 奥羽山脈が、冷たく湿った北東風(ヤマセ)をブロック、冷害から稲を守る
3. 山越え風はフェーン風となって一気に気温が上昇、宝風となって稲の生育を促す
4. 日中は暑く(8月の平均気温25度――千葉県銚子市とほぼ同じ)、夜は一気に気温が下がり、この温度差がよい稲を育む
こうして秋田は、北海道、新潟に次いで全国第3位の米の収穫量を誇る。ご参考までに、農水省の「平成20年産水陸稲の収穫量」による県別「主食用米収穫量」のベスト5は、
1. 北海道626,600 2. 新潟614,400 3. 秋田522,500 4. 福島435,500 5. 茨城410,300 となっている。
いや、量を誇るだけでなく秋田の米は美味しい。私がいつも昼食をとる料飲店の店主は、料理にかなりの腕を持つので米についてもうるさいが、「先入観を持たずに比べれば、米は何といっても新潟と秋田ですね」と言う。そして秋田の某農業家の米を持ち込むと早速使用してくれて、「実に美味しい。作り手の苦労がわかるような味、その思いが染みているような味」と高く評価した。
その中心となる銘柄が「あきたこまち」だ。

「あきたこまち」は、「コシヒカリ」と冷害に強い「奥羽292号」を交配し、秋田県が長年を費やして育てた「秋田31号」という米である。つまり、こしひかりを寒い地域にも適応できるように改良したのであろう。昭和60(1985)年に「あきたこまち」としてデビュー以来、その人気は全国に広まった。
資料としてはちょっと古いが、03年6月14日日経新聞の「お米の人気銘柄」によれば、1位コシヒカリ(新潟・魚沼)874点、2位あきたこまち(秋田)632点、3位コシヒカリ(新潟・一般)360点、4位ひとめぼれ(宮城)246点、5位ひとめぼれ(岩手)165点と、「あきたこまち」は見事2位を占めている。

日本は今、食料自給率問題でゆれている。私も、ますますグローバル化する経済の中で、大規模農業で合理化を進めるアメリカなどに対して、日本の小規模形態では勝てないのではないか、という疑問を持ち続けていた。しかし、秋田県鹿角市で農業を営むK氏の答えは明快であった。
「大規模企業が良い物を作っているのではない。日本の自動車は世界に冠たるものであるが、それはトヨタが作っているのか? 中身は、下請けの何万という中小零細企業が作っている。高い技術力はその零細企業に蓄積されているのだ。」
「広大な土地に機械技術で作るより、日本の段々畑で丹精こめて作ることが大切だ。そこに日本農業の値打ちがあり、よい米を作れば高価でも必ず売れて競争にも勝てる」
これを聞いて私は、体の中を一涼の風が吹き抜けた思いがしたのであった。
稲刈りを終えた苅田を、赤とんぼの群れが飛び交い、やわらかい夕陽が大地を包む・・・。
その夕陽の彼方へ雁の群れが渡り、秋は日を追って深まっていく。
そう、収穫を終えると、北国は早くも冬の準備にとりかかるのである。

【9月の行事】
● 9月7日(月)〜9日(水)
角館のお祭り
〈角館祭りのやま行事〉 (仙北市)
●9月10日(木)11日(金)
大館神明社例祭 (大館市)
● 9月12日(土)
おなごりフェスティバル (能代市)
● 9月中旬から10月上旬
湯沢市観光栗園開園(湯沢市)
●9月21日(月)敬老の日
第23回 いものこまつり (横手市)
500食用の大鍋を使って生産農家が作る本場の
「山内いものこ汁」を味わえます。

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
青く伸び盛った稲穂は、9月になるといっせいに色づき、広大な田園は一面黄金の波にゆれる。
かつてこの時期に、大潟村を抜けて男鹿に向かったことがあるが、たわわに実った黄金の稲穂がどこまでも続き、逆光に映えて金色に波打つ様は、目もくらむような光景であった。

大潟村は、東京の山手線の中の広さに匹敵する。日本第二の湖(潟)であった八郎潟を干拓し、全てを米の増産に向けた水田地帯として昭和39(1964)年発足した村で、干拓地面積15,666ha、うち農地面積は11,755haにおよぶ。米どころ秋田の象徴の一つだ。その後迎えた減反政策とあいまって、かつての八郎潟の景観を失った功罪の評価はさまざまあるが、四季いろいろと変わる新たな景観は、それはそれで目を見張るものがある。
もちろん秋田は、大潟村を得る前から米どころであった。「JA全農あきた」のホームページによれば、米作りに適した秋田の自然条件を、次の4点にまとめている。
1. 内陸部の積雪とブナや秋田杉などの森が、ミネラル豊富な良質な水を大量に育む
2. 奥羽山脈が、冷たく湿った北東風(ヤマセ)をブロック、冷害から稲を守る
3. 山越え風はフェーン風となって一気に気温が上昇、宝風となって稲の生育を促す
4. 日中は暑く(8月の平均気温25度――千葉県銚子市とほぼ同じ)、夜は一気に気温が下がり、この温度差がよい稲を育む
こうして秋田は、北海道、新潟に次いで全国第3位の米の収穫量を誇る。ご参考までに、農水省の「平成20年産水陸稲の収穫量」による県別「主食用米収穫量」のベスト5は、
1. 北海道626,600 2. 新潟614,400 3. 秋田522,500 4. 福島435,500 5. 茨城410,300 となっている。
いや、量を誇るだけでなく秋田の米は美味しい。私がいつも昼食をとる料飲店の店主は、料理にかなりの腕を持つので米についてもうるさいが、「先入観を持たずに比べれば、米は何といっても新潟と秋田ですね」と言う。そして秋田の某農業家の米を持ち込むと早速使用してくれて、「実に美味しい。作り手の苦労がわかるような味、その思いが染みているような味」と高く評価した。
その中心となる銘柄が「あきたこまち」だ。

「あきたこまち」は、「コシヒカリ」と冷害に強い「奥羽292号」を交配し、秋田県が長年を費やして育てた「秋田31号」という米である。つまり、こしひかりを寒い地域にも適応できるように改良したのであろう。昭和60(1985)年に「あきたこまち」としてデビュー以来、その人気は全国に広まった。
資料としてはちょっと古いが、03年6月14日日経新聞の「お米の人気銘柄」によれば、1位コシヒカリ(新潟・魚沼)874点、2位あきたこまち(秋田)632点、3位コシヒカリ(新潟・一般)360点、4位ひとめぼれ(宮城)246点、5位ひとめぼれ(岩手)165点と、「あきたこまち」は見事2位を占めている。

日本は今、食料自給率問題でゆれている。私も、ますますグローバル化する経済の中で、大規模農業で合理化を進めるアメリカなどに対して、日本の小規模形態では勝てないのではないか、という疑問を持ち続けていた。しかし、秋田県鹿角市で農業を営むK氏の答えは明快であった。
「大規模企業が良い物を作っているのではない。日本の自動車は世界に冠たるものであるが、それはトヨタが作っているのか? 中身は、下請けの何万という中小零細企業が作っている。高い技術力はその零細企業に蓄積されているのだ。」
「広大な土地に機械技術で作るより、日本の段々畑で丹精こめて作ることが大切だ。そこに日本農業の値打ちがあり、よい米を作れば高価でも必ず売れて競争にも勝てる」
これを聞いて私は、体の中を一涼の風が吹き抜けた思いがしたのであった。
稲刈りを終えた苅田を、赤とんぼの群れが飛び交い、やわらかい夕陽が大地を包む・・・。
その夕陽の彼方へ雁の群れが渡り、秋は日を追って深まっていく。
そう、収穫を終えると、北国は早くも冬の準備にとりかかるのである。

【9月の行事】
● 9月7日(月)〜9日(水)
角館のお祭り
〈角館祭りのやま行事〉 (仙北市)
●9月10日(木)11日(金)
大館神明社例祭 (大館市)
● 9月12日(土)
おなごりフェスティバル (能代市)
● 9月中旬から10月上旬
湯沢市観光栗園開園(湯沢市)
●9月21日(月)敬老の日
第23回 いものこまつり (横手市)
500食用の大鍋を使って生産農家が作る本場の
「山内いものこ汁」を味わえます。

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
八月 ・・・ 祭り
8月は祭りだ。どこに行っても祭りがあり、秋田もその例にもれない。
それどころか秋田は極めて祭りの多い県で、年間を通して280の祭りがあると言われている。その理由は秋田が裕福であったことによるようだ。
祭りにせよ習俗にせよ、各村落とともにある。村落が滅びれば共に消える。水に恵まれ米に恵まれた秋田の村落は、歴史上幾多の飢饉などを多く生き延び、そこに伝わる祭りや習俗も守り、残してきたのである。
その祭りは8月に集中する。秋田市民俗芸能伝承館の「秋田の年中行事」には134の祭りが載っているが、内25%の34の祭りが8月に集中している。
中でも“竿燈まつり”はその白眉と言えよう。東北三大祭の一つである。
竿燈の起源は、古くから各地で行われてきた「眠り流し」の行事である。いわゆる「眠気を覚ます」、「睡魔を払う」、合わせて「悪霊を払う(流す)」行事である。全国各地にこのしきたりはあり、「東北地方では広く“ネブリ流し”或いは“ネブタ流し”と言い、群馬地方では“ネブト流し”、長野では“オネンブリ”を流すと言う。熊本県一宮町の阿蘇神社では“禰牟利奈賀志(ねむりながし)”といって神事として行われている」(堀田正治著『竿燈の本』54頁)。
“七夕”も一連の行事で、竿燈の最上段の提灯二つには七夕と書かれてある。つまり青森のねぶた、仙台の七夕、すべて起源は同じである。激しい農作業などで眠気に襲われる夏・・・、眠気とともに、前半年の忌まわしい穢れや悪霊を流し去ろうという思いがあるのであろう。

しかし今や観光化も含めて華麗さと技を競う行事となった。
46個の提灯をつるした竿燈は、最長16,7メートル、重量50キロ。これを「流し」(竿を片手で握る)、「平手」(片手の掌で掲げる)、「額」、「肩」、「腰」(それぞれに乗せバランスを取る)の五つの技で演ずる。
風を全面に受けると倒されるので、風が吹けば風に垂直に向け、風がやむと元に戻す・・・、しかも、額、肩や腰の場合は手を使うことなく。竿燈の極意は力だけではなく「風を読む」ことだと言う。私は子供用の「小若竿燈」(7メートル、15キロ)を持たせてもらったが、風を読むどころか両手で支えるのが精一杯であった。その力と技は筆舌に尽くしがたい。

ある人に、「8月の秋田の祭り5選」を問うと、この“竿燈まつり”のほかに、みこしを担いだ男たちが滝壷に入って行く“白瀑神社みこしの滝浴び”、優美妖艶でその名も高い“西馬音内(にしもない)盆踊り”、日本三大ばやしの一つと言われる“花輪ばやし”、それと大仙の“全国花火競技大会”を挙げた。いずれも血騒ぎ肉踊る感がある。
そう。祭りはその起源の如何にかかわらず住民たちの生活の表現であり、特に若者たちの血気の発露だ。昔から喧嘩はつきもの、膨大なエネルギー発揚の場だ。
今や観光客で埋まり妖艶と優雅が売り物の西馬音内盆踊りも、深夜に及べば、踊り子たちは焚き火を囲み猥歌を高唱しながら明け方まで踊り尽くす。それもまた夏祭りに欠かせぬ一面を示している。
そもそも祭りは無礼講・・・、上下内外の差別無くふれ合い、交流は広がり、また男女の交わりが生まれる。住民たちは日常の厳しい労働を離れて、短い夏の終わりを燃え尽くし、来るべき実りの秋に備えるのである。

西馬音内盆踊り
某年8月20日、秋田三大盆踊りの一つ八郎潟町の“一日市(ひといち)盆踊り”を、揃いの浴衣に身を包んで踊った。浴衣の袖が仲間とふれ合い、道を挟んで対面する踊りの隊列と、恥らいながら笑顔を交わす。
「・・・ああ、あの人も踊ってる」、「・・・あの子だれだっけ?」、・・・
そして、踊り疲れて汗ばんだ浴衣を脱ぎ捨て、ビールを飲み干したときの夜の冷気が忘れられない。
祭りを終えると、そこには秋が来ているのである。

【8月の祭り】
● 8月1日(土)
白瀑神社みこしの滝浴び(八峰町)
● 8月3日(月)〜6日(木)
竿灯まつり(秋田市)
● 8月16日(日)
西馬音内盆踊り(羽後町)
●8月18日(火)〜20日(木)
一日市盆踊り(八郎潟町)
● 8月19日(水)・20日(木)
花輪ばやし(鹿角市)
●8月22日(土)
全国花火競技大会(大仙市大曲)
ほか各地で多数

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
それどころか秋田は極めて祭りの多い県で、年間を通して280の祭りがあると言われている。その理由は秋田が裕福であったことによるようだ。
祭りにせよ習俗にせよ、各村落とともにある。村落が滅びれば共に消える。水に恵まれ米に恵まれた秋田の村落は、歴史上幾多の飢饉などを多く生き延び、そこに伝わる祭りや習俗も守り、残してきたのである。
その祭りは8月に集中する。秋田市民俗芸能伝承館の「秋田の年中行事」には134の祭りが載っているが、内25%の34の祭りが8月に集中している。
中でも“竿燈まつり”はその白眉と言えよう。東北三大祭の一つである。
竿燈の起源は、古くから各地で行われてきた「眠り流し」の行事である。いわゆる「眠気を覚ます」、「睡魔を払う」、合わせて「悪霊を払う(流す)」行事である。全国各地にこのしきたりはあり、「東北地方では広く“ネブリ流し”或いは“ネブタ流し”と言い、群馬地方では“ネブト流し”、長野では“オネンブリ”を流すと言う。熊本県一宮町の阿蘇神社では“禰牟利奈賀志(ねむりながし)”といって神事として行われている」(堀田正治著『竿燈の本』54頁)。
“七夕”も一連の行事で、竿燈の最上段の提灯二つには七夕と書かれてある。つまり青森のねぶた、仙台の七夕、すべて起源は同じである。激しい農作業などで眠気に襲われる夏・・・、眠気とともに、前半年の忌まわしい穢れや悪霊を流し去ろうという思いがあるのであろう。

しかし今や観光化も含めて華麗さと技を競う行事となった。
46個の提灯をつるした竿燈は、最長16,7メートル、重量50キロ。これを「流し」(竿を片手で握る)、「平手」(片手の掌で掲げる)、「額」、「肩」、「腰」(それぞれに乗せバランスを取る)の五つの技で演ずる。
風を全面に受けると倒されるので、風が吹けば風に垂直に向け、風がやむと元に戻す・・・、しかも、額、肩や腰の場合は手を使うことなく。竿燈の極意は力だけではなく「風を読む」ことだと言う。私は子供用の「小若竿燈」(7メートル、15キロ)を持たせてもらったが、風を読むどころか両手で支えるのが精一杯であった。その力と技は筆舌に尽くしがたい。

ある人に、「8月の秋田の祭り5選」を問うと、この“竿燈まつり”のほかに、みこしを担いだ男たちが滝壷に入って行く“白瀑神社みこしの滝浴び”、優美妖艶でその名も高い“西馬音内(にしもない)盆踊り”、日本三大ばやしの一つと言われる“花輪ばやし”、それと大仙の“全国花火競技大会”を挙げた。いずれも血騒ぎ肉踊る感がある。
そう。祭りはその起源の如何にかかわらず住民たちの生活の表現であり、特に若者たちの血気の発露だ。昔から喧嘩はつきもの、膨大なエネルギー発揚の場だ。
今や観光客で埋まり妖艶と優雅が売り物の西馬音内盆踊りも、深夜に及べば、踊り子たちは焚き火を囲み猥歌を高唱しながら明け方まで踊り尽くす。それもまた夏祭りに欠かせぬ一面を示している。
そもそも祭りは無礼講・・・、上下内外の差別無くふれ合い、交流は広がり、また男女の交わりが生まれる。住民たちは日常の厳しい労働を離れて、短い夏の終わりを燃え尽くし、来るべき実りの秋に備えるのである。

西馬音内盆踊り
某年8月20日、秋田三大盆踊りの一つ八郎潟町の“一日市(ひといち)盆踊り”を、揃いの浴衣に身を包んで踊った。浴衣の袖が仲間とふれ合い、道を挟んで対面する踊りの隊列と、恥らいながら笑顔を交わす。
「・・・ああ、あの人も踊ってる」、「・・・あの子だれだっけ?」、・・・
そして、踊り疲れて汗ばんだ浴衣を脱ぎ捨て、ビールを飲み干したときの夜の冷気が忘れられない。
祭りを終えると、そこには秋が来ているのである。

【8月の祭り】
● 8月1日(土)
白瀑神社みこしの滝浴び(八峰町)
● 8月3日(月)〜6日(木)
竿灯まつり(秋田市)
● 8月16日(日)
西馬音内盆踊り(羽後町)
●8月18日(火)〜20日(木)
一日市盆踊り(八郎潟町)
● 8月19日(水)・20日(木)
花輪ばやし(鹿角市)
●8月22日(土)
全国花火競技大会(大仙市大曲)
ほか各地で多数

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員
七月 ・・・ 秋田に足跡を残した文人たち
2005年夏、八郎湖に浮かぶ“うたせ舟”に初めて乗った。真夏の陽光と水しぶき、雄大な自然に身をゆだね、古来この美しい秋田の景観を書き残した文人たちに思いを馳せた。彼らはいずれも夏(6〜8月)に訪れたので、その足跡を7月にまとめて採りあげることにする。

八郎湖に浮かぶ“うたせ舟”

元禄2(1689)年6月、松尾芭蕉が『奥の細道』北端の地として象潟に足を踏み入れ、
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花
という名句を残した。象潟は今や土地の隆起によりその面影を失ったが、当時は百に近い小島が潟の水面に浮かぶ名勝地で、芭蕉は東の松島と並べ『奥の細道』の双璧としたのであった。その本文に
「松島は笑うが如く象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂(たましい)をなやますに似たり」
と情景を説明し、前掲の名句を引き出したのである。
中国春秋時代の越王勾践(こうせん)の寵姫(ちょうき)西施は、絶世の美女とうたわれたが、特に、眉をひそめうつむき加減に愁いを帯びた仕草は、彼女をいっそう美しく見せたという。雨にぬれた象潟とねぶの花に、西施の姿を重ねたのであろう。
残念ながら芭蕉は象潟から引き返し秋田を離れたが、明治26(1894)年8月、芭蕉の跡を追った正岡子規は、往年の名勝の姿をなくしていることを知っていたのか象潟を通り越し、八郎潟を望む絶好の地である三倉鼻(八郎潟町)に立って、
秋高う入海晴れて鶴一羽
と詠んだ。かつての象潟の景観を八郎潟に求めたのであろう。その句の前文で八郎潟の情景を、
「邸上に登りて八郎湖を見るに四方山低う圍んで
細波渺々唯寒風山の屹立するあるのみ。
三つ四つ棹さし行く筏(いかだ)静かにして心遠く思い幽かなり」
と記している。
干拓前の八郎潟は琵琶湖に次ぐ第二の湖・・・、四方を低い山が囲み、わずかにさざ波の立つ彼方に寒風山が屹然と立っている、と言う表現は当時の八郎潟を髣髴させる。国は八郎潟を干拓して広大な水田を手に入れたが、失った景観も大きい。私は三倉鼻に立つたびに、その失ったものの大きさを悲しむのである。

三倉鼻の子規の歌碑
子規も三倉鼻から引き返し一路帰京したが、秋田を縦断した文人もいる。与謝蕪村である。蕪村は寛保2(1743)年夏、秋田を縦断して遠く津軽半島まで行ったが、途中八郎潟の夜叉袋(やしゃぶくろ)にその足跡と句を残した。昼の暑さを避け月夜の夜に麦をつく卯兵衛という男を見て、
涼しさに麦を月夜の卯兵衛かな
と詠んだ。
蕪村はこの句を好んだようで、その前書きに“杵(きね)を振るうウサギの絵”まで書き添え、
「そこらを徘徊しけるに、月孤峰の影を倒し、 風千竿の竹を吹いて、朗夜のけしきいふばかりなし」
と辺りの情景を描いている。その碑が同町の諏訪神社にあるが、当時の状況を想像させる風情がある。月影に浮かぶ孤峰は森山であろう。
地元の石井露月(大正9年7月)は当然であろうが、斉藤茂吉(昭和22年6月)も夏の八郎潟に遊んでいる。そのとき“白魚の踊り食い”を体験した茂吉は、
白魚の生けるがままを善し善しと食いつつゐたり手づかみにして
と、茂吉らしい大らかな歌を残している。(石田玲水著『八郎潟風土記』23頁)
菅江真澄は三河(愛知県)の生まれであるが、天明4(1784)年32歳で秋田に入り、その後東北から北海道を経て1801年再び秋田に入るや、各地をくまなく歩き、その生活、風習、文物を発信し続け、1829年田沢湖で病に倒れ角館で没したといわれるので、真澄は秋田人になったと言っても過言ではあるまい。
他の事例も枚挙にいとまがなく、いずれの文人も秋田の景観を素晴らしい表現で書き残している。その景観の中に住む秋田の人にとって、誇りにすべきことであろう。

【秋田県下の歌碑】
・ 松尾芭蕉 象潟町蚶満寺境内ほか約40箇所
・ 与謝蕪村 八郎潟町諏訪神社境内
・ 菅江真澄 藤里町藤琴字太良ほか数箇所
・ 正岡子規 八郎潟三倉鼻ほか3箇所
・ 石井露月 雄和町女米木高尾神社ほか約10箇所
・ その他、一茶、虚子、碧悟桐などから吉田松陰など、多くの歌碑あり
【7月の行事】
● 7月2日(木) 田代山神社例大祭〈作占い〉(大館市)
● 7月中旬 ホタルフェスティバル(八峰町)
● 7月14日(火)・15日(水)八幡宮綴子神社例大祭 (北秋田市)
● 7月20日(月)・21日(火)土崎港曳山まつり(秋田市)国の重要無形民俗文化財
● 7月25日(土)田沢湖まつり(仙北市)

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員

八郎湖に浮かぶ“うたせ舟”

元禄2(1689)年6月、松尾芭蕉が『奥の細道』北端の地として象潟に足を踏み入れ、
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花
という名句を残した。象潟は今や土地の隆起によりその面影を失ったが、当時は百に近い小島が潟の水面に浮かぶ名勝地で、芭蕉は東の松島と並べ『奥の細道』の双璧としたのであった。その本文に
「松島は笑うが如く象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂(たましい)をなやますに似たり」
と情景を説明し、前掲の名句を引き出したのである。
中国春秋時代の越王勾践(こうせん)の寵姫(ちょうき)西施は、絶世の美女とうたわれたが、特に、眉をひそめうつむき加減に愁いを帯びた仕草は、彼女をいっそう美しく見せたという。雨にぬれた象潟とねぶの花に、西施の姿を重ねたのであろう。
残念ながら芭蕉は象潟から引き返し秋田を離れたが、明治26(1894)年8月、芭蕉の跡を追った正岡子規は、往年の名勝の姿をなくしていることを知っていたのか象潟を通り越し、八郎潟を望む絶好の地である三倉鼻(八郎潟町)に立って、
秋高う入海晴れて鶴一羽
と詠んだ。かつての象潟の景観を八郎潟に求めたのであろう。その句の前文で八郎潟の情景を、
「邸上に登りて八郎湖を見るに四方山低う圍んで
細波渺々唯寒風山の屹立するあるのみ。
三つ四つ棹さし行く筏(いかだ)静かにして心遠く思い幽かなり」
と記している。
干拓前の八郎潟は琵琶湖に次ぐ第二の湖・・・、四方を低い山が囲み、わずかにさざ波の立つ彼方に寒風山が屹然と立っている、と言う表現は当時の八郎潟を髣髴させる。国は八郎潟を干拓して広大な水田を手に入れたが、失った景観も大きい。私は三倉鼻に立つたびに、その失ったものの大きさを悲しむのである。

三倉鼻の子規の歌碑
子規も三倉鼻から引き返し一路帰京したが、秋田を縦断した文人もいる。与謝蕪村である。蕪村は寛保2(1743)年夏、秋田を縦断して遠く津軽半島まで行ったが、途中八郎潟の夜叉袋(やしゃぶくろ)にその足跡と句を残した。昼の暑さを避け月夜の夜に麦をつく卯兵衛という男を見て、
涼しさに麦を月夜の卯兵衛かな
と詠んだ。
蕪村はこの句を好んだようで、その前書きに“杵(きね)を振るうウサギの絵”まで書き添え、
「そこらを徘徊しけるに、月孤峰の影を倒し、 風千竿の竹を吹いて、朗夜のけしきいふばかりなし」
と辺りの情景を描いている。その碑が同町の諏訪神社にあるが、当時の状況を想像させる風情がある。月影に浮かぶ孤峰は森山であろう。
地元の石井露月(大正9年7月)は当然であろうが、斉藤茂吉(昭和22年6月)も夏の八郎潟に遊んでいる。そのとき“白魚の踊り食い”を体験した茂吉は、
白魚の生けるがままを善し善しと食いつつゐたり手づかみにして
と、茂吉らしい大らかな歌を残している。(石田玲水著『八郎潟風土記』23頁)
菅江真澄は三河(愛知県)の生まれであるが、天明4(1784)年32歳で秋田に入り、その後東北から北海道を経て1801年再び秋田に入るや、各地をくまなく歩き、その生活、風習、文物を発信し続け、1829年田沢湖で病に倒れ角館で没したといわれるので、真澄は秋田人になったと言っても過言ではあるまい。
他の事例も枚挙にいとまがなく、いずれの文人も秋田の景観を素晴らしい表現で書き残している。その景観の中に住む秋田の人にとって、誇りにすべきことであろう。

【秋田県下の歌碑】
・ 松尾芭蕉 象潟町蚶満寺境内ほか約40箇所
・ 与謝蕪村 八郎潟町諏訪神社境内
・ 菅江真澄 藤里町藤琴字太良ほか数箇所
・ 正岡子規 八郎潟三倉鼻ほか3箇所
・ 石井露月 雄和町女米木高尾神社ほか約10箇所
・ その他、一茶、虚子、碧悟桐などから吉田松陰など、多くの歌碑あり
【7月の行事】
● 7月2日(木) 田代山神社例大祭〈作占い〉(大館市)
● 7月中旬 ホタルフェスティバル(八峰町)
● 7月14日(火)・15日(水)八幡宮綴子神社例大祭 (北秋田市)
● 7月20日(月)・21日(火)土崎港曳山まつり(秋田市)国の重要無形民俗文化財
● 7月25日(土)田沢湖まつり(仙北市)

歳時記内 写真提供:こめたび八郎潟町会員




